インタビュー【光栄運輸株式会社 代表取締役 髙橋栄美 さん】

写真左から4人目が髙橋栄美さん

 

今回お話を伺った方

光栄運輸株式会社 代表取締役 髙橋栄美 さん

光栄運輸株式会社にて代表取締役として日々忙しくされている髙橋栄美さんに、ご自身のキャリアライフと女性の働きやすさへの支援についてお話を伺いました。

 

ー御社の概要を教えてください

チャーター便、 ハンドキャリー便・バイク便、一般商品配送、企業専属貸切便といった運送業務の他、荷物の包装・梱包・積込・搬入・搬出など様々な作業もお手伝いしています。

さらに、運転代行や小規模の引っ越しのお手伝いまで、「荷主様の想いを運ぶ運送屋」として、お役に立つことを心掛けています。

また、農家とレストランや大手スーパーの直結するプロジェクト「半島物語」の企画、運営、管理を行っています。
主に渥美半島の農家さんが丹精込めて作った美味しい食材を光栄運輸が直接料理人さんへお届けします。
その日に採れた朝採り食材をお届けしますので、鮮度・糖度ともに一級品の食材ばかりで、大変喜ばれています。半島物語について詳しくはこちら→http://hantoumonogatari.com/
ー三人の子供の子育てと両立しながら、女性経営者の感覚を活かして地元密着の運送業を続けています。

 

●Her Career Story

キャリアを教えてください。

社会に出て初めは会社勤めで事務職に就いていました。結婚を機に辞め、しばらく専業主婦でしたが、今から18年前、長男が1歳11ヶ月の時に、この子が大学に行く時にお金を出してあげたいから仕事したいなと思ったのが現在の仕事を始めるきっかけです。

その頃から漠然と、いずれ女性も男性と同様に働く時代が来るだろうとも思っていました。

たまたま近所の女性がヤマト運輸のメール便の仕事をやっていて、代わりにやってくれないかと紹介してもらい、一日一時間ベビーカーを押しながら配りだしたことが始まりでした。そのうち自分で稼いだお金で自転車を買い、スクーター、車と変遷し、配る部数も増えていきました。

そして百貨店の荷物の配送も請け負うようになり、さばけないほどの仕事量になっていきました。子供3人車に乗せて、かるた取りのように伝票合わせを手伝わせながら配っていた時期もありましたね。10年ぐらい個人事業主としてこういう働き方をしていました。

その後、転機がありました。ある大きな配送センターを丸ごと引き受けてほしいという話があり、雇われ管理者となり、法人化をしてやりだしました。

最初の一年は月間の売上1200万円、従業員が47人という大所帯でしたが、段々売上も減り、人も辞め、結果的に4年ほどでうまくいかなくなってしまいました。後から聞くと、既に閉まることが決まっていたセンターの最後を任された、つまりはだまされたようなのですが、当時はだまされたことに気が付いていませんでした。

ただ私なりに配送センターの仕事がうまくいっていないことと、それだけで専属でやっていると会社も危ないなということは感じたので、別の配送の仕事を徐々に増やし、配車センターの割合を下げていく努力をしていきました。

メーカーさんのチャーター便の仕事は、飛び込み営業をして増やしていったのですが、最初はネームバリューがないので考えたのが、大きなメーカーさんと取引することです。

ラッキーなことに弊社がある豊橋市にはヤマサのちくわさんがあります。しかも当時、弊社の眼の前に事務所がありました。新車の冷凍車を一台用意し、配送を手伝わせてくださいと営業に行きました。

「それで何十台冷凍車があるの?」「一台です。」「あなたねぇ。うちの規模がわかってるの。」「・・・どうしても御社の仕事をやらせていただきたくて。」

すると、ヤマサのちくわさんの社長が「中小企業は零細企業を助けるのも仕事だから、取り敢えずやってみなさい。」と言ってくださり、お仕事をいただきました。その後「ドライバーさんを増やしてくれない」と言われるまで信頼して下さり、励みになりました。

しかも名があり老舗の同社の仕事を受けたことにより、信頼性も増して、その後の営業でもうまくいくようになり、回るようになっていきました。

 

―社員が働きやすいようにどんな工夫をされていますか?

以前はドライバーがひんぱんに入れ替わるような会社だったのです。

ちょうどその頃中小企業家同友会という経営者団体に入会し、やっと経営とは何かを学びだしました。

社員が続かない経営は良くない。社員が長く安心して働けることが、会社を安定して継続していける要素となることに気づけました。

今では、人に合わせて仕事を配分し、働きやすいようにしています。

特に女性は時間制限がある場合が多いですから、

保育園に行っている子供がいる女性には昼間に不在票を入れてもらう仕事、妊娠中の女性にはポスティングするためのチラシを折る仕事、

といったように、その人ごとの事情に合わせて仕事を配分し、働きやすいように工夫をしました。

これは私が女性だからこそ苦労した経験、起業した頃の働き方を応用しています。

それを発展させて、男女問わず現在の仕事のやり方は、業務の内容を細かくして組み合わせています。

例えば2時間でできる仕事、4時間でできる仕事といったように細かな単位で作っておいて、その人ごとの生活スタイルと、その人の能力に合わせて、これらの仕事を組み合わせていきます。

事情が変わり、もう少し長い時間働きたいという要望があれば、それに合わせて仕事を作ります。

営業すればいくらでも仕事はありますし、逆に今のメンバーで請け負うのは無理だと思えば、お断りします。

仕事に人を合わせず、一人ひとりに仕事を合わせることで、スタッフのやる気も上がり、楽しんでやってくれてると感じます。

また、今いる4人のドライバーは男女二人ずつですが、誰がどこのポジションに入ってもいいように、全員できる仕事のレベルを合わせ、誰が休んでも代わりができるようにしています。

 

―半島物語プロジェクトはどうやって始まったのですか?

半島物語というプロジェクトを始めたのは4年前。

配送センターの仕事が無くなって仕事を探している時に、社員が農家さんの前に並んでいるキャベツを見て、「あれを運んでみたらどうか。」と言った言葉から始まりました。

そのうち規格外で売れずに余っている野菜があることを知り、今度は売り先を探すことになり、手始めに豊橋市内に12店舗経営しているレストランに直販することになりました。

せっかくなので、どういう農家で作っているか知ってもらった方がいいと思って、レストランの方々に農家さんを案内し、顔の見える直販網を作りました。

現在はレストランだけでなく、大手スーパーさんへと、段々拡大して軌道にのってきました。

農家さんにも、新鮮な野菜が手に入るお客さんにも喜んでいただいていますが、この半島物語は、弊社にとってもドライバーの勉強の場所になっています。

どういう声掛けをすると喜んでもらえるか勉強でき。物を運ぶことに慣れていきます。

三方良しな事業ですね。

 

―中途採用の募集で、42人もの応募があったのはなぜですか?

女性社長を見に来てくださいと書いたのが良かったのかどうかわかりませんが(笑)、まず応募のハードルを下げたことが原因です。

最初は「お買い物に車を使う人ならできる仕事です」と書いて42人。2回目は「女性社長が男女共に働きやすい環境を整えました」と書いて20人応募がありました。

ハードルを下げると、本当に色々な人が応募してきます。面接する自分が勉強させてもらっています。

誰に対してもあいさつができることが最低条件ですね。

そこは教育しても変わらないので、大切にしています。

 

-子育てと両立して大変だったことは?

自分では大変と思っていませんでしたが、周りからはそう思われていたかもしれません。

当時母親が働くことがそんなに珍しいと思われているとは気づかなかったのですが、小学校の先生に「仕事で子育てをないがしろにしているから、やんちゃするんですよ。」と嫌味を言われたこともあります。

子供がある程度大きく育ってから働き出した方がいいという考えもあったかもしれませんが、それでは私自身の年齢が高くなってしまいます。

もし今40代後半の年齢で働き始めようと思ったら、運送仕事は選ばないでしょう。もっと簡易な仕事を選ぶと思います。

若くして始めたから体力もあってやり始めることができましたし、豊橋で18年間運送業をやり続けてきた女性は、今はたぶん私だけだと思います。

続けてきたことで信頼が増していると思うので、今から思えば、早く始めて良かったなと思っています。

 

-将来の夢は?

一般貨物運送事業に合わせて、旅客の民間救急搬送事業も行いたいと考えています。

その後経営者を引退して私は一ドライバーになり、75歳までハンドルを握って、あちらこちらにチャーター便を配達し、人生を終わらせたいです。

 

■企業情報

名称/光栄運輸株式会社

代表者/代表取締役社長 髙橋 栄美

設立/平成23年1月

社員数/7名(男性3名 女性4名)

URL http://hantoumonogatari.com/kouei/

 

あとがき

◆インタビュー及び書き手: WinBEディレクター 篠田寛子
自らの手で仕事を創り出してきた髙橋さん。周りから何を言われようと、自分で決め、責任を取り、続けてきたと笑う笑顔が素敵でした。

ご自身が子育てしながら時間のやりくりを工夫してきた経験を活かし、社員さんが働きやすく、しかも働きがいのある環境を整えることを当たり前のようにされているのは、人への想いが強いからではと感じました。

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