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vol.8【社会を動かした女性たち(4):平塚らいてう】

市川房枝と共に「新婦人協会」を設立した平塚らいてう(本名:明)と言えば、『青鞜』の創刊者として名が知られています。『青鞜』は初めて女性の手によって創刊された文芸誌で、1911年から1916年まで月刊誌として発行されていました。「元始、女性は実に太陽であった」と始まるらいてうの有名な創刊の辞は、まさに女性解放運動の本格的な始まりを示唆する文言でした。『青鞜』創刊の発起人や賛助した女性作家には与謝野晶子や森鴎外の妻しげ子がおり、らいてうを含めてその大半が20代女性であったことは驚きです。

『青鞜』とは、18世紀半ばのロンドン社交界において、教養の高い女性たちの集まりであった「ブルーストッキング」(bluestocking)の訳語から付けられた名前。「ブルーストッキング」の名は、青いストッキングを履いていた参加者に由来すると言われています。彼女たちはカードゲームなどの娯楽には興じず、サロンで文芸について語ることを会合の目的としていました。時には男性政治家も招かれましたが、主な参加者は上流・中流階級の女性。「ブルーストッキング」は、知的ぶった女性たちに対する蔑称にもなりました。

その名と趣旨を受け継いだと言える『青鞜』は、女性解放思想を持つ文学者たちの作品発表の場となりました。学生時代に英語と漢文の勉強や禅修行に励んだらいてう自身も、『青鞜』創刊以前に『愛の末日』という小説をすでに出版しているほど。政治色の強い「新婦人協会」とは異なり、「書くこと」を通して婦人問題を取り上げ、読者に印象づけていったのです。

『青鞜』の出版もさることながら、心中未遂事件や事実婚など、らいてうは世間を騒がす話題を振りまき、注目を集めてきました。まさに、女性に対して抑圧的な時代を自らの筆力と行動で打ち破っていったと言えます。NHKの連続テレビ小説「あさが来た」や「とと姉ちゃん」には、主人公たちに影響を与えた人物として「平塚らいてう」が登場しました。戦後も85年間の生涯を閉じるまで、婦人解放運動と共に平和活動に従事したらいてう。作家、運動家、そして一人の女性、母親としての生き様が、多くの女性たちの思想に影響を与えたことでしょう。

らいてうは『青鞜』創刊号の中で、女性の「天才」を認め、尊重することが重要であると訴えています。今から100年以上も昔に「天才」の発揮を妨げてきた男女差別を批判していたらいてう。彼女の目に、現代の日本社会はどのように映るでしょうか?先人の作品を通してその思想に触れることは、現代社会のジェンダー観について再考できる良いきっかけになるかもしれません。

【参考資料】
小林登美枝・米田佐代子(1987)『平塚らいてう評論集』岩波文庫。
特定非営利活動法人 平塚らいてうの会 http://raichou.c.ooco.jp/index.html

 


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