column

vol.6【社会を動かした女性たち(2):パンクハースト夫人とフォーセット夫人】

前回ご紹介したエメリン・パンクハーストを含め、20世紀初頭に女性の参政権を求めて活動したイギリス人女性や団体は数多く存在しました。
特に、彼女と比較して語られるのが、同時期に婦人参政権運動を展開したミリセント・ガレット・フォーセット。
エメリンと同様にミリセントも、参政権運動を展開した女性参政権協会全国同盟(National Union& Women’s Suffrage Societies, 以下NUWSS)を先導するリーダーでした。

暴力に訴えたエメリン・パンクハースト率いるWSPUとは一線を画し、NUWSSの活動は愛国的で、穏健に進められていきます。
ミリセントは後に、ケンブリッジでのニューハム女子カレッジ創設に携わるなど、女性の高等教育機会の拡大にも貢献。盲目でありながら経済学者として活躍した夫のヘンリー・フォーセットと共に、その功績は後世に語り継がれています。

さて、エメリンとミリセントを筆頭に、イギリス人女性たちの活動は国内外でどのように評価されていたのでしょうか?
WSPUの活動はその過激さゆえ、マス・メディアの関心を集め、彼女たちの行動の是非を問う白熱した議論を巻き起こしました。活動の支援者が増える一方で、彼女たちの破壊的な行動に断固反対する人々も。
WSPU内部でも活動内容を巡って分裂が起き、エメリンの次女シルビアをはじめ、団体から追放されたり、自ら別の団体を作って離脱してしまうメンバーも存在しました。

WSPUがメンバー同士の紛争を激化させる中、合法的に参政権運動を続けるNUWSSは活動の場を移す女性たちの受け皿となり、着実にメンバー数を伸ばしていきます。
NUWSSはこれまで活動の中心となっていた中産階級の女性に加え、労働者階級の女性も積極的に勧誘してその活動規模を拡大。
WSPU・NUWSSという二大団体を中心に、ウェールズやスコットランドでも女性の団体が次々に誕生するなど、20世紀最初の10年間で婦人参政権運動は全国規模に発展します。

さらに、彼女たちの想いは海外にも飛び火し、欧米を中心にその支持者はグローバルに拡大していきます。
イギリスでの出来事を直接見聞きしたジャーナリストや留学生たちは大きな衝撃を受けたことでしょう。日本では『東京朝日新聞』など有名紙の記者により、彼らがイギリスで遭遇したWSPUの大規模なデモに参加するメンバーへのインタビュー記事が掲載されました。女性が暴力を働いてまで法的権利を訴える姿や、それに賛同する男性支援者の存在に、日本人読者たちはさぞ驚かされたに違いありません。

そして、遠い異国での出来事を知り、士気を高める女性活動家も登場します。
のちに婦人参政権運動の先駆者として活躍したとある日本人女性の家には、エメリン・パンクハーストの人形が大切に飾られていたとか……。

[参考資料]
今井けい(1992)『イギリス女性運動史:フェミニズムと女性労働運動の結合』日本経済評論社。
河村貞枝・今井けい編(2006)『イギリス近現代女性史研究入門』青木書店。
富田裕子(2008)「Women’s Social and Political Union(女性社会政治連合)と英国の婦人参政権運動」、Seijo English monographs (40)、289-343。

 


pre

tyosya

ページ上部へ戻る