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vol.9【社会を動かした女性たち(5):メアリ・ウルストンクラフト】

歴史の授業で習う日本人女性と言えば、前回ご紹介した平塚らいてうや樋口一葉、古くは紫式部や清少納言といった文筆家が多いでしょうか。卑弥呼や推古天皇、北条政子といった政治を司った女性も挙がるかもしれませんね。英国にももちろん、歴史上の人物と言えば必ず名前の挙がる女性がいます。今回は女性解放運動の歴史を語る上で欠かせない英国人女性思想家、メアリ・ウルストンクラフト(Mary Wollstonecraft, 1759-97)を取り上げます。

ロンドンに産まれたメアリは暴力的な父親の下、幼い頃から母親や姉妹の面倒を見ながら生活していました。彼女は10代で家を離れ、住み込みの家庭教師をしながら、家庭の中で女性が男性に精神的・経済的に依存する様子を目の当たりにします。女性が置かれている立場を知り、様々な知識人に出会いながら執筆活動を始め、生計を立てるようになります。

メアリ・ウルストンクラフトの名が広く世間に知れ渡ったきっかけは、彼女が32歳の時に出版した『女性の権利の擁護』(1792)です。これが後世に語り継がれる本となります。彼女は女性が男性と同等の教育を受け、政治に参加する権利を主張して支持を得た一方、強い批判にもさらされました。女性は生得的に男性より脳が小さく、様々な点で能力が劣っているという専門家の意見が認められた時代です。彼女の急進的な考えは、婦人参政権運動が活発になってきた19世紀以降でさえ、反発を買うこともありました。

メアリはその後パリに渡り、アメリカ人男性と恋に落ちて妊娠・出産、その男性との恋に破れた後にロンドンで自殺未遂を起こすなど、波瀾万丈な人生を送ります。生涯を共にするパートナー、ウィリアム・ゴドウィンとの出会いと妊娠により、結婚制度に否定的だった二人はついに結婚。メアリは二女のメアリ・シェリー(後の『フランケンシュタイン』の作者)の出産後に亡くなってしまいますが、彼女の功績は死後数十年後、女性の権利を主張する思想家たちによって再び認められることになります。

批判に屈することなく、時代の先を見据えて書くことを止めなかった彼女の活動は、近代フェミニズムの萌芽として称えられてきました。現在でも「イギリスの偉大な人物」ランキングに度々名前が載るメアリ・ウルストンクラフト。西欧社会における女性解放思想や婦人参政権運動の始まりは、日本社会に与えた影響も含め、知っておくべき「教えられない歴史」であると言えるでしょう。

 


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